2005年01月24日

プラネテス 第25話「惑い人」

なんとも複雑な気持ちです。正直今回に関しては微妙…というか、はっきり言えば失望した部分が大きいんですが、ただそれだけというわけでもなく、ハチマキの心の問題やタナベとのことについて一応は決着がなされたということで、ほっとしている部分もあるというか。前回ベタ誉めした上に、あんな予想を書いたりしたせいで、余計にこんな気持ちになるのかも。今振り返れば、ちょっと浮かれすぎだったかな…とも思うけど、ただ24話はそれだけスゴイものがあったことも確かであり、期待が大きくなっても仕方ないわけで…。やはり今回は批判的な調子で行くべきだろうか。

まずは一番気になっていた、オチについて。
ハチマキとハキムとの戦いは、なんと弾切れオチ! くっ…ベタなオチをもってきやがって…。いや、まあ、ここは良しとしよう。せっかく殺す決断をして引き金を引いたというのに、弾が出なかったせいで余計にややこしくなりハチマキの心はますます迷走していく…というのはアリでしょう。そこに何らかの大きな力が働いたのかとか考えて話は哲学的な方向へ行ったり、一応はまた次の段階へと進めるわけですから。でも、この後が問題。なんと都合よく爆発が起こって二人は吹っ飛ばされ、ハチマキの方はさらに都合よくも鉄板が覆い被さってきて身を守られるものの、ハキムの方はそんなこともなくモロに爆発の威力を全身に浴び……。やっぱ死んだんだろうな…。で、二人の決着はうやむやのままという、ご都合主義極まれりな展開でした。一方、タナベの決断の方はいうと、これもまたご都合主義全開な「シャトルバスの通り道でした」オチ! 結局、二人とも殺人を犯すことはなく、逆に死ぬようなこともなかった。なんだこりゃ…。

自分の予想としては、少なくともタナベの方は酸素ボンベを奪わざるをえないと思ってましたが、別にその予想がはずれたからといって、失望したわけではないんです。ハチマキやタナベが殺人を犯すのを描くなんて、作品の性格から考えるとある意味冒険だし、それは避けて無難な方にもっていくというのは、充分理解できます。冒険して未知なる世界を開拓してほしかったという気持ちもありますが、その難しさを考えると致し方ないかなとも思う。

何が気に入らないかって、二人の決断なんか無意味になってしまうような描き方をしたこと。結果的に二人が殺人を犯さないで済むように描きたかったにせよ、前回からの流れを考えると、その決断の重さと、そこから生じる責任だけはしっかり描かねばならなかったはずだと思う。なのに、二人は極限状態の中で迷い葛藤した末に、最終的な決断を下したはずなのに、別のとこから起こった出来事によってそんなことは全く関係なくなってしまった。あれはいったい何だったのかということになる。せっかく、ここまで周到に物語を組み立ててきたのに全部くずしてしまい、それまでのテーマを放棄して別のものへとシフトさせてしまったように見える。そうなると、結局24話ってハッタリにすぎなかったの?と思えて仕方がない。この手法は23話から24話へまたがって使われたミスリードとは、全く性質が違う。今回の場合は明らかにご都合主義に逃げてるわけで、到底評価できるものではないと思う。なんでこういうことするかなー。

タナベの方は、悪魔の誘惑に負けることなく信念を貫いたものの、その代償として酸素欠乏症にかかったということで、一応は決断の重さを描いていると言えなくもないかも知れんけど、どうもなぁ…。「それじゃ、死んでろよ」とも思ってしまう。「なんでそんな中途半端なタイミングでシャトルバスが来るんだ? それも安易なご都合主義だろ」みたいな。いや、タナベは好きなキャラだし生きていてくれて嬉しい気持ちもあるんだけど、物語の構成上、どうもね…。視聴者が一番気になっている「タナベはどうなったのか」というのを伏せたまま話を進めて、最後に以前とは変わってしまった姿で登場させ…という演出は、これはこれで悪くないんだけど、前回からの続きとしてはどうなんだろう? 前回のラスト、狂気に取り付かれ恐ろしいまでに歪んだ顔から、今回の話にすんなり繋がるだろうか? それなら、一度酸素を奪おうとしてたところから、なぜ思い直して信念を貫くように変わったのかという過程を、ちゃんと描いて見せるべきではなかっただろうか。描きようによっては、ドラマティックなシーンにもなっただろうに…。

まあ、オチに関してはそんな感じで、納得するのは難しかったです。だけど、今回失望させられた原因としては、こんなこととは別に、もっと大きいものがありました。それはハチマキの心の問題と、その解決までの経緯です。

空間喪失症にかかって以来、ずっとハチマキの心の問題が描かれてきたわけですが、この描き方というのが、「もう一人の自分」の姿が目の前にハッキリ見えたり、その声がハッキリ聞こえたり、ハチマキもそれに対して実際に声を出して答えたりと、かなり極端な演出で、「アニメだから分かりやすい演出にした」では済まないレベルではないかと気になってた。それが今回ますますエスカレートし、記者会見でボケた答え方してしまったり、あげくは月面で二日間もボーッとさまよって死にかけたり…。もうほとんど分裂症の症状。本当に分裂症にかかっているという設定ならば、木星に行くどころじゃないし、たとえそうじゃなくて、これも単なる演出の範囲内だったとしても極端すぎる。誰しも悩みなど内面に問題を抱えているときは、普段とは違ってくるものだけど、ハチマキの場合はそういうのが極端に外に表れすぎている。そういうタイプの人間って常に周りに余計な気を使わせて疲れさせたり、ときにはちょっとしたことで衝突したりして迷惑かけるわけです。

とすると、果たしてそんな人間が木星に行く人類のエリート18人に入ることができるのかという、根本的な疑問が生じてくる。設定に説得力がなくなってきたというか…。ただでさえ宇宙飛行士って、どんな危機に直面しても絶対に動揺せず、任務を遂行できるような精神力の強さが求められる職業のはずなのに…。「ガタカ」なんかではこの点、宇宙飛行士はエリート中のエリートとして描かれ、感情なんてコントロールできて当然といった感じで冷たい印象をおぼえるほどで、その中に飛び込んだイーサン・ホーク演じる主人公も徹底的に自分を律する必要がありました。なのに、ハチマキときたら…。あんな脆い精神の奴が木星行っていいのか? 木星に行ったとき、もし「2001年宇宙の旅」みたいにモノリスが待ってて、まかり間違ってハチマキなんかがスターチャイルドになっちゃったりしたら大変ですよ。(笑)地球どころか全宇宙の滅亡の危機というものですよ。

そういうわけで、ハチマキの内面に焦点を当てた物語にしたいあまり、宇宙飛行士とはどういう職業かという基本設定の方に説得力がなくなってきてやしないだろうか、デブリ課の社員のような一般人ならまだしも、人類のエリートとかになってくると、こういう青臭いテーマは馴染まないんじゃないかという疑問が一つ。そしてあと一つ、今回失望した一番の原因が、そのハチマキの心の問題の決着の仕方。

バイクで事故って海に落ち、溺れる中で唐突に幻覚を見て、手を繋いだ人間たちの螺旋が宇宙のイメージと重なり、「あれが宇宙…? じゃあ、今の今まで俺が見てた宇宙はいったい何だったんだ…」。で、一気に悟りへ……というもの。

なにこの陳腐な演出。
まさかこの作品で、今更こんなものを見せられるなんて夢にも思わなかった…。ちょっとこれは衝撃的だったよ。メッチャクチャ脱力感に襲われた。エヴァンゲリオンの25話・26話を思い出した人も多いのでは。でも、まだあっちの方はシンジが答えに辿り着くまでの過程を、一応ご丁寧にニ話分費やして描いてるだけマシ。ハチマキの場合は、途中経過ほとんどなし。いきなりの人間の螺旋と宇宙のイメージだけで直観的に、一気に悟りの境地へジャンプ! 何話も費やして描いてきた最終地点がこれかよ…。だったら、さっさとバイクで事故ってろ!海で溺れてろ!みたいな。

とにかく、海で溺れることと、あんな都合のいい幻覚が見えることとの間に、どんな関係性があるのか分からない。好意的に解釈すれば、真っ暗な夜の海で一人っきりで溺れることで、孤独がよりハッキリと浮かび上がり、原初的な恐怖がハチマキの中の根源的な力を呼び覚ましたとか、そんなとこだろうか。いや、そんな風な演出には見えなかったような…。

あれかな、頓悟禅の世界ですかねこれは? そういうのがやりたかったのか? それなら、一休のように「闇夜に鳴いたカラスの声で悟りを開いた」みたいな、なんか衒学的でもいいから、それなりに深いものを感じさせるような演出でやってほしかったものだが。というかハチマキのって、「鉄鼠の檻」で京極堂の言ってた魔境ですよ魔境。あまりの劇的さゆえに悟りと勘違いしやすいけど、実はそれは真の悟りではなく魔境と呼ばれるもので、受け流さねばならないってやつですよ。なんかスッキリした顔しやがって、タナベにも分かったようなこと言ってたけど、いや、絶対分かってないね奴は。今は一時的に落ち着きを見せてるだけで、また何かちょっとしたことで、すぐにバランスくずして、何度でもやらかすに違いない。「鉄鼠の檻」にも京極堂のこんな台詞があった。
「人の心や意識と云うのは連続したものではないのです。連続しているように錯覚しているだけで、朝と夕、さっきと今ではまるで違っていたりする。脳と云うのはその辻褄を合わせようとします。頓悟とか、大悟とか云うのは、ほんの一瞬のこと。それ以降ずっと人格が変わるものではない。だからこそ、悟後の修行が大切なのです」
(んー…、なんか自分も頓悟禅的な悟りの定義と魔境との違いがよく分かってなくて、ゴッチャになってるような…。もう一度「鉄鼠」を読み直してみるかな。)

考えてみたら、チェンシンも可哀相な犠牲者だったな。こんな奴に引っ掻き回されて調子狂わされて…。いや、もっと可哀相なのはハキムか。こんな奴と張り合ってたなんてなぁ。結局ハチマキの心の問題がこんなレベルにすぎなかったってことは、ハキムとの対話は何だったんだろうってことになる。いったいハチマキは、ハキムの言ってたことを聞いてたのか? ハキムの言葉はハチマキの中に何を残したのか? ハキムの切実な訴えはハチマキの心に全く届いてなかったのか? 彼の示した重い命題は、ハチマキの問題とは全く次元の違う話だったのに…。

まあ、そんなわけで、色んなものをすっ飛ばしてる感が否めないのですが、一応はハチマキの辿り着いた答えは間違ってはないだろうし、タナベの元に帰ってきて、タナベも「やっと分かってくれたんですね」って感じで涙流して喜んでたりで、結果的には良かったんだろうな…。安易なご都合主義とか思いながらも、タナベの泣くところではちょっと感動してしまったり…。もう5回は見返してるけど、見ているうちに、元々プラネテスってこんなものだったのかも知れないなぁ…という気もしてきた。勝手にこっちが期待を大きくして盛り上がりすぎただけで。

さて、来週はいよいよ最終回。ある意味、今回の25話でもう終わってるような気もしますが、残り一話でいったい何が描かれるのか。個人的にはハチマキとチェンシンの会話や、クレアのその後に注目です。ハチマキはチェンシンに謝ったりするのだろうか。クレアはタナベに「認めるわ。あなたの愛はわたしを救った。でもすぐに死刑なんだけどね」とか言うのだろうか。(笑) ま、何にせよ、ここまで来たらハッピーエンドで、明るい気分にさせてほしいですね。
posted by ごくし(管理人) at 07:16 | Comment(7) | TrackBack(3) | (アニメ感想)プラネテス
この記事へのコメント
はじめまして。
これまでずっと感想を読ませて頂いておりました。
で、今回の話なんですが、色々ネットを回ってみても賛否両論ですねー。

結局のところ、あの話の主張を一言でまとめると、
「人間は孤独だ。愛も人を救うことは出来ない。
 人を救えるのはその人自身だけだから。
 ただし、少し手を差し伸べることは出来る」
てなところでしょうか。
だから、タナベの幻影がハチマキに手を差し伸べるシーンで、
ハチマキが積極的にタナベの手を握り締めることはないし、
もちろんタナベの幻影がハチマキを引っ張り上げることもないという演出になっているんだろうと思います。

あとはー…「人は皆繋がってる」というのが、必ずしも肯定的な意味で捉えられてる訳ではないんだろうな、と。
「皆繋がってる」からこそ、個人の力ではどうにもならない事態が色々起こってくるわけで、
だから組織作ってテロに走るような考え方も生まれてくる。

23、24話が特にそうですが、「個人ではどうすることも出来ない事態」がこの作品には多く、
そのほとんどが当事者のみの力によって解決されることがありません。
テロは裏取引によって、フォン・ブラウンに乗っている者の思惑を完全に無視して決着しますし、
タナベの月での葛藤や苦しみも、「偶然通りかかったシャトルバス」という、
完全に外部の要素によって、決定的な答えを見出せないまま中断させられます。

これらもまた、個人が窺い知れないところで、個人を巻き込んで世界が色々と動いているからであり、
多分、そういうことも含めての「人は皆繋がっている」なんじゃないでしょうかね。
Posted by kei at 2005年01月24日 10:39
早速のコメントありがとうございます。
この25話はどう理解したものか、どう解釈したものか、さんざん悩みました。
あからさまなご都合主義の連続とか、海で溺れて簡単に悟ったりとか、こんなの他の作品がやってたら何も考えるまでもなく切って捨てるとこだけど、なんせプラネテスですからね。ここに何らかの意味を見出さねばならないのかと、努力しましたよ。(今思ったけど、「惑い人」って自分を含めた視聴者のことだったりして…。惑わされまくりですよホントに。)

で、悩んでも結局、気持ちを整理できないまま、とりあえず否定的に書くしかなかったのが上の文章なんですが、なんか自分には理解できなかったからって逆ギレしてる子供のようでもあり…、冷静に振り返ってみれば、もうちょっと他に書きようがあったのではと少し恥ずかしい。ネットで他の人の感想を読んでると、みんなわりと素直に受け入れてる人が多いですよね。

keiさんの考え方はかなり作品理解の助けになりました。この作品が描いているリアルさとはそういうことなのかも知れませんね。ただ、それも好意的な解釈ではあるかなとは思うのですが…。まあ、自分は少し色眼鏡でもって物事を見すぎるきらいがあるので、今回も瑣末な部分にとらわれ、底に流れる大きなテーマを読み取り損ねたような気もします。一応何かを感じているはずなのに。もうちょっと自分にも分かりやすい形で描いてほしかったなというのが本音ですね。
Posted by ごくし(管理人) at 2005年01月24日 22:48
レスありがとうございます。
いや、仰る通りかーなり好意的な見方ですよ。
描写を大分はしょってるのは否めませんしね。

でも、最終話まで見ると、そういう解釈が良いのかな、
と思えてしまったのです、私には。

ただ一つ思うのは、ハチがハキムを撃てず、
タナベは酸素ボンベを奪うことも、そのまま奪わずに殉ずることも出来なかった。
という、二人とも何とも言えない宙ぶらりんの状態になってしまった、
というのがキーなんじゃないですかね。

極端な話、完全に一線を越えてしまうとプラネテスという物語は終わりだと思います。
「惑い人」ですから。
惑うことをやめた人間がロックスミスですが、
ハチマキに同じ道が歩めるとはちょっと思えませんしね。
Posted by kei at 2005年01月25日 09:33
今回の話を見ただけでは釈然としない部分も多いのですが、
最終回を見ればある程度は納得できると思いますよ。
タナベが死なずに済んだのも単なる偶然ではないですから。
Posted by DVD見た人 at 2005年01月25日 16:31
まぁ、最終回を見てくださいな
いろいろ納得できるはずです
Posted by りょーた at 2005年01月25日 22:18
TBどうもありがとうございました
いや私は結構肯定的な見方をしているんですが原作読んでいるのも関係しているかもしれませんね。
あのハキム、タナベ、ハチマキ(含むクレア)は原作ではそれほど密接な関係を持っているわけではないんですけれどオリジナルながら原作の部分を咀嚼してぶち込んでいるなと感じたものですから。
もちろんごくしさんの感じたことも間違いじゃないと思いますよ。時間が経ってから考えてみるとなるほどとうなずく点もありますし(^^;ただ私はうまく(多分に力技もあったけど)纏めたなあと思ってます。
Posted by tonbori at 2005年01月25日 22:43
みなさんコメントありがとうございます。
なんだか既に最終回見てらっしゃる人が多いようで…。
この25話と26話はセットで最終回だという話も聞きましたし、25話だけで判断するのは早計すぎたのは間違いなさそうですね。
ただ、こんな感想になってしまいましたが、別にこれだけで今まで見たプラネテスのすべてを否定しようというわけではないので、そこは早とちりしないでいただきたいなーと。
最終話の感想はまた何回も見直して遅れるとは思いますが、まあ、別に自分の感想がどうなるかとか気にしないで、みなさんそれぞれに最終回の余韻にひたっていただければと思います。(笑)
Posted by ごくし(管理人) at 2005年01月26日 20:03
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